maru ヘタクソ四コマ日記

五十路maru の日常のヘタクソ四コマ日記

脳出血になった話。⑥

入院中、夜の静けさの中、オナラをしてしまった事があった。

「私です」と言うわけにもいかず、どうにもこうにも可笑しくて

タオルで口を押さえて笑いをこらえた。

こういう時に誰とも笑いを共有できなくて残念だった。しておいて言うのもなんだけど。

 

同室の方達を少しご紹介。

「読書さん」

 本がお好きな様でいつも本を読んでいる。

 交わる人に「本はお好き?」と聞き、持っている本の中から本を一冊あげている。

 上品そうでちょっと気弱そうなおばあさん。

 

「しっかりさん」

 リハビリもしている様子もなく一番しっかりしてそう。

 「もうすぐ退院です」と言いながら中々退院しない人。

 

「こまかわさん」

 いつも「帰りたい帰りたい」と言っていて看護師さん泣かせで

 ちょっと困った所があるけれど何だか可愛いおばあちゃん。

 ある日夜中にトイレに起きたらいなくなっていた。

 私はぐっすり寝ていて気が付かなかったけれど

 夜騒いでしまい、5人くらいが来てどこかに連れて行かれたらしい。

 

「ちゃっきりさん」

 若くてまだ小さいお子さんがいるお母さん。

 毎日毎日お子さん達へ電話をしている。話し方とかすごくちゃっきりしている。

 初めの頃は皆と一線をおいている感じがしたが少しするとお話しする様になった。

 入院したのは、ある日突然頭の中でパチンと音がしてみるみる体が動かなくなり

 子供達に救急車を呼んでもらったそう。

 調べると元々脳の血管に異常が見つかり手術をしないといけないと。

 それを待たずに私は退院してしまった。

 色々身の上話まで聞いてしまったのでその後が気になっている。

 どうしただろう。頑張っているかな。

 

「はちまきさん」

 一番お話しした人かもしれない。

 いつもタオルをぐるぐるっとはちまきの様に頭に巻いていて

 元気に独り言を言い、リハビリも頑張っていた。

 はちまきさんは一人暮らしで、ある日家にタクシーを呼んで出かける時に

 運転手さんに行き先を告げると「何を言っているかわからない」と言われたという。

 それを見ていたお隣さんに救急車を呼んだ方がいいと言われてここに来たと。

 左側に麻痺が残り、歩くことも言葉もままならないが

 全く悲観する様子はなく前向きにリハビリに励む人だった。

 一人暮らしで大変な思いをされていないだろうかと今でも思う。

 

私の入院生活は二週間ちょっとで終わった。これはかなり軽い方だと思う。

重い後遺症が残る人はここからリハビリセンターへ転院になる。

そこから長いリハビリ生活が始まるという。

私は身体的にはほとんど以前と変わりなく生活できている。

そんな私でも退院後すぐは中々大変だった。

自分の住所も電話番号も言えず、常にメモを持ち歩くことを勧められたが

忘れてしまうのはたった今の事や当たり前に覚えていそうな事なので

それもあまり役に立たなかった。

たった今聞いたことを繰り返す様にもう一度聞いて家族を驚かせたり

一度やった事をすぐに忘れて何度も同じ事をしてしまったり。

けれどそれも歳のせいにしてみたり、家族も慣れてきたりでなんとかやってきた。

そのうち段々とそんなこともあったね〜と言えるくらい少なくなってきた。

もちろん今でも薬は毎日飲み、半年ごとにMRIを撮っている。

これらの出来事は何かに残しておきたいと思う様になったきっかけの一つだ。

 

そうそう、救急車を呼んで来てくれた救急隊の方が「ものすごいイケメンだった」と

イッコが言っていた。イケメンとはそういう無防備な時にあらわれるものだ。

残念ながら全く覚えていない。

 

簡単だけれどこれが私が脳出血になった話。